武漢からのチャーター・フライトは一段落つきました。
私事ですが,私は1989年の天安門事件でチャーター便に乗って帰国した経験があります。
当時,私は北京語言学院で中国語を勉強していました,というのは建前で,中国国内を旅行していました。
事件の発端となった胡耀邦の死去を知ったのは,昆明へと向かう列車の中でした。その後,ビルマ国境の瑞里(当時はまだ未解放地域でした。ちょうど宿屋で同室になった中国人がルビーの買い付け人で, 夜になるとビルマからルビーの売人がやってきていました。機会があれば,後日詳しくお話しいたします),数年後に世界遺産に指定された大理などを旅行して,5月に学校へ帰りました。
当初,単なる学生運動かと思われた集会も,時が過ぎるにつれてエスカレートしていきました。
事件発生日の6月4日が近づくにつれ,学校の先生からは「外出は控えるように」「天安門には行くな」と警告されたため,夜になっても外出はあきらめ,仕方ないので留学生同士で麻雀にふけっていました。当然情報は何も無いので,日本からの短波放送が情報源でした。
発生当日,当時やっとの思いで購入した白黒テレビは,「北京市政府警告」として「外に出るな」という文字しか映らなくなっていました。
その後,大使館員がやってくると「飛行機を手配します。この便に乗らなければ後の保障はできません」と言われ,「これはやばい事になっているな」と思った記憶があります。
空港までの高速道路では,兵士を積んだ戦車数台とすれ違いました。
空港は,北京脱出を望む外国人でごった返ししており,どうしたら良いか解らない状態でした。(これも機会があれば後日詳しくお話いたします)
ひとつ解ったことは,「自分でお金を出して切符を買え」ということでした。
今回,武漢からのチャーター便は,なんと国が全額負担してくれるとの事!なんて羨ましい!
2週間の隔離は大変ですが,ご自身の体調管理はしっかりとお願いし致します。